2005年12月10日

好奇心に捧げる供物

「この国は数ヶ月ごとに少女が殺される国になってしまった」という書き出しで、彼女ら犠牲者はマスコミへの供儀である、というようなことを言っていたエントリを見かけたのだけれど、場所を失念してしまった。

化け物=マスコミはいいとして、その本質がなにかといえば、好奇心だと思う。
マスコミの微に入り細にわたった報道は、視聴者の好奇心を満たすためのものだ。

自分はそういった好奇心を、「ワイドショーじみた下卑た好奇心」と呼んで嫌っている。
”いたましい事件”の報道に嬉々として群がる、そのハイエナのような様をどうにかしろ。
その少女がどのように殺されたか、なんてことは、あんたがた(=視聴者)には関係ない、「自分の娘が…他人事とは思えない」などと逃げ口上をうって、下卑た好奇心をむき出しにするのはやめてくれ。

(だからこんな、あんたがたの望むものを演出しようとする報道がまかり通るのだろう)


あんたがたの好奇心を満たすために、あんな事件が起こっている。
そんな気がしてならない。

歯止めのない好奇心は、俺にとっては悪徳以外のなにものでもない。
そんな卑しい好奇心は、フィクションの中にだけ求めろよ。
せめて、卑しい行いである、ということを自覚しろ。
posted by yocc at 15:19| Comment(1) | TrackBack(2) | 世の中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キライなやつとの付き合い方

気負うつもりもなく、と言いながら、なにも書かないままに過ぎる。

気負うつもりはないのだから、それはそれでいいはずなのだが、実のところもやもやしたものに苦しめられていた。
主体性を持って言葉を発することに対する抵抗感があまりにも大きく、ほとんどそれで固まってしまったのだ。

なんでかっつえば、まあ要するに……
俺は世間だの世界だの、要するに外界全般がキライだ。
キライなやつとは付き合わないのが一番カシコイ。
(つったってまったく関わらないわけにもいかないのだが、それは常に消極的なかかわり方だった)
ところがブログで言葉を発するってのは、そのキライな世の中と、積極的に関わりをもとうとする行為だ。
それが自分のやり方に反するので、そこで止まってしまったわけだ。

…というようなことをもやもやと考えていて、
結局、このブログは、俺が「嫌いだキライだ」と言いながら、世の中とかかわっていくための場なのだろう。

それがとりあえずの結論。
posted by yocc at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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