気負うつもりはないのだから、それはそれでいいはずなのだが、実のところもやもやしたものに苦しめられていた。
主体性を持って言葉を発することに対する抵抗感があまりにも大きく、ほとんどそれで固まってしまったのだ。
なんでかっつえば、まあ要するに……
俺は世間だの世界だの、要するに外界全般がキライだ。
キライなやつとは付き合わないのが一番カシコイ。
(つったってまったく関わらないわけにもいかないのだが、それは常に消極的なかかわり方だった)
ところがブログで言葉を発するってのは、そのキライな世の中と、積極的に関わりをもとうとする行為だ。
それが自分のやり方に反するので、そこで止まってしまったわけだ。
…というようなことをもやもやと考えていて、
結局、このブログは、俺が「嫌いだキライだ」と言いながら、世の中とかかわっていくための場なのだろう。
それがとりあえずの結論。