2006年01月02日

リプレイ流通

プレイヤー側が生成できるコンテンツの中で、現状のデザインのゲームでも生成できるものが「リプレイ動画」「スクリーンショット」の類である。

よく出来たアクションゲームでは、上手いプレイヤーのリプレイ動画は大きな価値があるのだ。
また、自分の傑作プレイや、笑えるプレイを他人に見せたいという需要もある。

これをはやくプレイヤーに開放して、手軽に流通できるシステムを作って欲しい。
ゲーム個々でやるのはあほらしい。
たとえばXBOX360なら、駆動できるスレッドがひとつあいてたら、360のOS側で手軽に圧縮・保存・配信が行えるような仕組みを作って欲しいものだ。


とりあえずはサービスで、どう収益するかというモデルは無い。
んだが、たとえば格闘ゲームの大会決勝戦のリプレイなんていろんなやつがみたがる(大会がちゃんと盛り上がればな!)だろうし、大勢のヤツがみたがるなら、当然、そこには価値が出てくる。
posted by yocc at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オンラインゲームの先の話

回線を通して接続される多数のプレイヤーをもっとも価値あるリソースであると認識すれば、現状はGoogle搭乗以前のWebになぞらえることができるかもしれない。

日本でもようやく、全てのゲーム機で端末機能が付き、常時接続回線が当たり前の状況になって、オンラインプレイヤーをリソースとして計算できる状況に入りつつある。
が、現状のままでは十分に活用できない。多くなったらなったで、玉石混交状態のプレイヤーの中から、誰を使えばいいかわからないからだ。
(自分はそれほど既存のオンラインゲームを遊びこんだわけではないが、現状はまず、自分にあったプレイヤー層を見つけるところから始める必要があり、これが一苦労。またハズレのプレイヤーに当たる確立もけっして低くは無い)

これを十全に活用するには、信頼できる評価軸が欠かせない。
たとえば、あるゲームの腕前に対する適切な評価軸があれば、以下のようなことが出来る。

・多人数プレイにおける適切なマッチング
・オープニングの単調なデモの代わりに、上手なプレイヤーのプレイを配信する

ゲームのアルゴリズム側から、使い潰せるのがミソである。

あるいは、「遊び相手として楽しいプレイヤー」という評価軸を得られれば、評価の高いプレイヤーになることにインセンティブ(端的にはなんらかの報酬)を与えることで、サービス全体の価値を高めることも出来る。
まあ、このあたりはやりすぎるとこのへんの状況を再現しかねない気もするが。結局はコミュニケーション能力や人気序列の評価になりそうだし。
とはいえ、オンラインゲームのプレイヤーというのは、本質的にサービス受益者であると同時にサービス提供者でもあるので、より良いサービスを提供するプレイヤーほど良い目(報酬)を得られるようにすべきとは思う。
無論、こういった報酬のシステムは、ゲームシステムの中にそれとなく入れ込むことで環境管理を行うのが最良なのではあるけれど、個々のゲームでそこまで考慮したうえでデザインを行うのは結構なコストだし、どのスタイルのゲームでもできるわけではないので、ベースとなるサービスでやってしまったほうが効率がいい。

まとめると、プレイヤー達には価値があり、ただし玉石混交で、そのなかで価値のあるプレイヤーを引っ張り出してリソース(コンテンツという呼び方も通じるんかね?)として駆動させるには、それなりに精度のよい評価軸が欲しいよ、とそういう話。

トラックバック先での「Gameの立ち位置はWebになぞらえるとどうなる?」という問い?には、Google登場以前てことで、1.0ぐらいじゃないかな、と。

ちなみに、次世代機の中では、LIVEはこの方向に進んでいる。が、どこまでいけるか。現状はややこしさばかりが先にたって、メリットが見えにくいようだ。
任天堂のサービスは、フレンドリストの内輪プレイヤーか、不特定多数か、だけが評価軸の模様。細かいところは個々のゲームで対応するスタイルで、上でいったような観点からは物足りない。
PS3に関しては、未だなにも打ち出していないので論外。
posted by yocc at 21:34| Comment(1) | TrackBack(3) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月10日

好奇心に捧げる供物

「この国は数ヶ月ごとに少女が殺される国になってしまった」という書き出しで、彼女ら犠牲者はマスコミへの供儀である、というようなことを言っていたエントリを見かけたのだけれど、場所を失念してしまった。

化け物=マスコミはいいとして、その本質がなにかといえば、好奇心だと思う。
マスコミの微に入り細にわたった報道は、視聴者の好奇心を満たすためのものだ。

自分はそういった好奇心を、「ワイドショーじみた下卑た好奇心」と呼んで嫌っている。
”いたましい事件”の報道に嬉々として群がる、そのハイエナのような様をどうにかしろ。
その少女がどのように殺されたか、なんてことは、あんたがた(=視聴者)には関係ない、「自分の娘が…他人事とは思えない」などと逃げ口上をうって、下卑た好奇心をむき出しにするのはやめてくれ。

(だからこんな、あんたがたの望むものを演出しようとする報道がまかり通るのだろう)


あんたがたの好奇心を満たすために、あんな事件が起こっている。
そんな気がしてならない。

歯止めのない好奇心は、俺にとっては悪徳以外のなにものでもない。
そんな卑しい好奇心は、フィクションの中にだけ求めろよ。
せめて、卑しい行いである、ということを自覚しろ。
posted by yocc at 15:19| Comment(1) | TrackBack(2) | 世の中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キライなやつとの付き合い方

気負うつもりもなく、と言いながら、なにも書かないままに過ぎる。

気負うつもりはないのだから、それはそれでいいはずなのだが、実のところもやもやしたものに苦しめられていた。
主体性を持って言葉を発することに対する抵抗感があまりにも大きく、ほとんどそれで固まってしまったのだ。

なんでかっつえば、まあ要するに……
俺は世間だの世界だの、要するに外界全般がキライだ。
キライなやつとは付き合わないのが一番カシコイ。
(つったってまったく関わらないわけにもいかないのだが、それは常に消極的なかかわり方だった)
ところがブログで言葉を発するってのは、そのキライな世の中と、積極的に関わりをもとうとする行為だ。
それが自分のやり方に反するので、そこで止まってしまったわけだ。

…というようなことをもやもやと考えていて、
結局、このブログは、俺が「嫌いだキライだ」と言いながら、世の中とかかわっていくための場なのだろう。

それがとりあえずの結論。
posted by yocc at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月23日

開始地点。

現在どこにいるのかもよーわからんようになってきたので、基準点を設置することにした。
今後どっちにいくにせよ、あとでここを見渡せば、相対的にどっちへ行ったのか、だけはわかるはずである。

ま、気負うつもりも無く。
posted by yocc at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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